大判例

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大津地方裁判所 昭和23年(行)1号 判決

原告

杉橋昭

杉橋忠

被告

滋賀縣農地委員會

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負擔とする。

請求の趣旨

今津町農地委員會が昭和二十二年三月十七日附で原告等の父亡杉橋和夫所有に係る滋賀縣高島郡今津町大字今津字八反田四百八十六番の一、田八畝二十一歩、同所四百八十六番の三、田六畝十三歩、同所四百八十五番、田八畝二歩を買收する旨の決定に對する異議申立に對し同年四月十七日附で同委員會長の爲した異議却下の決定並該決定に對する訴願に對し同年五月十三日附で被告滋賀縣農地委員會の爲した裁決は之を取消す。訴訟費用は被告の負擔とする。

事実

原告訴訟代理人が、請求原因として主張した事實の要旨は、原告昭は本籍滋賀縣高島郡今津町大字今津八十番地杉橋和男の長男、原告忠は和夫の二男で和夫の死亡により其の遺産を相續したものであるが、今津町農地委員會は昭和二十二年三月十七日附で右杉橋和夫所有に係る滋賀縣高島郡今津町大字今津字八反田四百八十六番の一、田八畝二十一歩同所四百八十六番の三、田六畝十三歩同所四百八十五番田八畝二歩を同人が不在地主であると云う理由で買收する旨決定したので原告等の祖父杉橋佐兵衞は和夫を代理して同年三月二十八日右農地委員會に對し異議の申立をしたところ同委員會長は異議申立を理由なしとして却下した。

そこで右佐兵衞は和夫の代理人として同年四月二十七日滋賀縣農地委員會に訴願したところ被告は同年五月十三日附で今津町農地委員會のした買收決定の處分は妥當であるから願訴は理由がないとして却下の裁決をした。然し買收の對象になつてゐる右田地三筆の所有者杉橋和夫は從來東京都大森區馬込町東二丁目千百四十番地に居住し同都京橋區銀座西七丁目の新聞廣告代理業新興社東京支店に勤務していたが同社は昭和十八年十一月株式會社萬年社東京支店に合併せられた爲和夫は同月限り新興社東京支店を解雇せられ爾來失業状態にあつたところ昭和十九年三月一日大津聯隊區司令官より本宅である滋賀縣高島郡今津町大字今津三百七十四番屋敷に召集令状が送逹されたので家族と共に東京都を引揚げ同月八日右今津町の本宅に移住し同月十一日同所より出發して中部第三十六部隊に入隊同年五月十八日出征し軍務に從事中同年八月三十一日中華民國湖南省方面に於て戰死したもので右戰死の公報は昭和二十二年十二月十九日受領した次第であるが右の如く和夫は昭和十九年三月八日今津町の本宅に歸り同町を住所と定め爾來原告等並母民子は引續き今津町に居住し祖父佐兵衞の受ける恩給年額五百四十圓、本件田地の小作料、母民子が同町大字今津二百六十六番地の畑一畝十二歩を自作して得る收入貸家の賃料其の他の收入を以て辛じて生計を樹て縣民税、町民税を負擔し隣組より物資の配給を受けて居る實情である祖父佐兵衞は大阪市東淀川區十三西之町三丁目四十四番地に住んで居る爲原告等は時々大阪市へ往復することはあるが同市は和夫や原告等の住所ではなく今津町が住所である。然るに今津町農地委員會や被告が和夫の住所を大阪市であると認宅し又原告等母子は昭和十九年十一月大阪市より疎開し現在は今津町に居住して居る樣であるが時々大阪市に所在する事實に徴し和夫が復員後も所在を今津町に置くものとは斷定し難いから昭和二十年十一月二十三日現在に於ては和夫は今津町に住所を有せざる不在地主であるとの見解を採つて居るが根據なき獨斷である和夫は復員後は食糧關係の優つておる今津町に永住する旨を明言し祖父佐兵衞も之に同意していた程であるから今津町は應召以來和夫の住所と謂うべきである從つて同人を不在地主として其所有田地に付買收計畫を樹てたのは違法で此違法を認容した被告の裁決も亦違法であると謂うにあつて被告の答辯事實を否認し尚本件田地は古くから他人に小作させておるので今之を取り上げて自作するものではないと述べ立證として甲第一號乃至十五號證を提出し、證人鎌田良平、堀井重藏の尋問を求めた。

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する訴訟費用は原告の負擔とするとの判決を求め其答辯として杉橋和夫が本籍滋賀縣高島郡今津町大字今津八十番地戸主杉橋佐兵衞の長男で昭和十九年八月三十一日戰死したこと、原告昭が右和夫の長男、原告忠が同人の二男民子が和夫の妻であること今津町農地委員會が和夫を不在地主として、同人が今津町大字今津字八反田に於て所有せる本件三筆の田地を買收する旨決定し之に對し和夫の代理人佐兵衞が異議申立をし同農地委員會が異議申立を却下した爲右佐兵衞が和夫の代理人として滋賀縣農地委員會に對し訴願し被告が今津町農地委員會の處分を妥當なるものと裁定したことは之を認める。原告等は和夫は召集令状を受け直ちに東京都大森區馬込町東二丁目千百四十番地の住所を引拂い家族と共に昭和十九年三月八日今津町大字今津三百七十四番屋敷に移住したと主張するが被告に對する訴願書によると和夫は應召當時大阪市東淀川區十三西之町三丁目四十四番地に居住し同市北區堂島中一丁目新興社に勤務中であり妻民子長男昭二男忠は昭和十九年十一月四日大阪市より今津町に轉出したる旨記載されてあるから東京都より直接今津町に轉住したと云う原告等の主張は承服し難い和夫が應召の當時今津町より出發したと云う事實を以て同人が該地に住所を移したものとは、斷定し難いから同人の住所は大阪市であると認めるのを妥當とする。成程原告等母子は和夫の應召後今津町に居住して居たかも知れないが之を以つて直ちに和夫の住所が今津町であると定める譯にはいかない。又復員した後和夫が住所を今津町に置く意志ありしものとも認め難いから今津町農地委員會が昭和二十年十一月二十三日當時和夫を今津町の居住者にあらずと認定し同人が今津町に於いて所有せる本件田地を自作農創設特別措置法第三條第一項に該當するものとして買收計畫を樹てたのは正當である從つて被告が原告等代理人の訴願に對し今津町農地委員會の處分を認容した裁定を與ヘたことは何等違法でない尚本訴に於て最初杉橋民子が原告として提訴し後に和夫の子昭忠を原告とする旨資格を變更しておるが右變更申立は時期に遅れておるから何れの點より見るも原告等の請求は失當であると述べ甲第六、十二、十三、十五號證の成立を認め爾餘の甲各號證を不知と述べた。

理由

原告昭が本籍滋賀縣高島郡今津町大字今津八十番地杉橋佐兵衞の長男、杉橋和夫の長男、原告忠が和夫の二男で和夫が大東亞戰爭に出征し昭和十九年八月三十一日戰死(公報は昭和二十二年十二月十九日到逹)した爲和夫の遺産を相續した結果和夫の所有であつた本件田地三筆の所有權を共同して承繼したこと、昭和二十二年三月十七日今津町農地委員會が右杉橋和夫を不在地主として同人が今津町大字今津字八反田四百八十六番の一、四百八十六番の三、四百八十五番に於て所有せる三筆の田地合計二反三畝六歩を買收する旨決定したこと、原告等の祖父杉橋佐兵衞が和夫の代理人として之に對し異議申立をし、同委員會が異議を却下したので滋賀縣農地委員會に對し訴願し、被告が昭和二十二年五月十三日附で今津町農地委員會の決定處分を妥當なるものと裁定したことは當事者間に爭のないところである本件主要の爭點は今津町農地委員會が自作農創設特別措置法に基き農地の買收計畫を樹てた當時杉橋和夫が今津町に住所を有していたか怎うかにある。原告等は和夫は應召以前東京都大森區馬込町東二丁目千百四十番地に居住し會社に勤務していたが昭和十八年十一月解雇せられ失業状態にある間に昭和十九年三月一日召集令状を受けたので家族を連れて東京都の住所を引揚げ同月八日今津町に移住し同月十一日同町を出發して入隊したのであるから和夫の住所は右三月八日以來今津町であると主張するのである成程甲第一號乃至四號證によると和夫が應召前東京都大森區馬込町東二丁目千百四十番地に住んで居たことは事實と認められるが召集令状受領後直接東京都より今津町に轉入して同町を住所としていたと認むべき適確な證據を發見しえない證人鎌田良平は和夫の一家が今津へ轉入された屆書には東京の轉出證明書が保存してあつたと述べておるが此の證言は後段の認定の事實に徴し措信し難い甲第五號證によると和夫が三月十一日今津町より他の應召者と共に出發したことを認められるが應召者は通常一旦郷里に歸り親戚故舊に暇乞をして出發することが少なくないから和夫が郷里の今津町より出發したと言う一事を以て同人が今津町を住所に定めたものと斷定し難い甲第十號證によると和夫の戰死(昭和十九年八月三十一日)後である。昭和十九年十二月同人の妻民子長男昭、二男忠が大阪市東淀川區十三西之町三丁目四十四番地より今津町大字今津三百七十四番屋敷に轉出しておる事實を認めることができるから此事實よりみると和夫は應召を受けた際一旦郷里である今津に歸り同町より出發して入隊し家族である原告等母子は東京都を引揚げて祖父佐兵衞の住んでおる大阪市東淀川區十三西之町三丁目四十四番地に落付き暫く大阪市に居住し昭和十九年十二月民子が原告等を連れて本籍地である今津町に轉入したものと認定するのを相當とする。而して證人堀井重藏の證言によると原告等は今津町のみに居住せず大阪市の佐兵衞方にも居住し今津町と大阪市との間を往復しており右兩地に於ける居住の期間は相半ばする實情であることを看取することができるから和夫の住所を大阪市か今津町か何れに決定すべきやは極めて困難の問題と云はなければならない。

原告等は和夫は應召當時から物資に惠れた今津町を住所に定める旨言明していたと主張するが之を裏付ける傍證がないから採用することができない。右の如く和夫本人の明白なる意志の表はれていない場合には應召當時の住所であつた東京都か又は同人家族が東京都を引拂い暫く住んでいた祖父佐兵衞の住居地である大阪市東淀川區十三西之町三丁目四十四番地を住所とする和夫の意志であつたものと推測するのを妥當と認める何れにしても今津町は和夫の住所ではないと見るのが穩當な見方であると云うべきである。さすれば今津町農地委員會が和夫を今津町に住所を有しない不在地主として同人が今津町に於て所有する本件田地三筆を自作農創設特別措置法第三條第一項第一號により買收すべき旨決定したのは相當の措置であり又被告が右今津町農地委員會の右買收決定處分を妥當と認めて訴願を却下した裁決も亦適法と云はなければならない。從つて原告等の請求は此の點に於て、認容することができないから、爾餘の爭點に對する判斷を俟つ迄もなく之を棄却するの外ならないから訴訟費用の負擔に付民事訴訟法第八十九條を適用して主文の通り判決する。

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